蠍のひとさし。

中年派遣OL、あたまのごみ箱*備忘録。

貪欲なるもの。

パートナーがいたとして。
看取りたい派ですか?看取られたい派ですか??

夜の接客業をしていた時、たまにこんな話になるときがありました。
テレビのトークバラエティなんかでも、この話題を見かけたことがあります。

私は、昔から看取りたい派でした。
理由を考えたことはあまりなく、漠然と、でしたが。
最近ある理由に辿り着き、自分で自分に笑ってしまって...

なんとなく思っていた頃は、残された相手が気の毒だなぁ、とか、
やっぱり自分がちゃんとしてあげたい、とか、、、
相手のその後を慮った”風味”な理由でした。笑

そんなの、まったくの嘘。
いえ、嘘とは違う。それはそれで本当。
だけど、その気持ちの更に奥。
見えたのは、裏に潜む深い欲。

自分が知っていた世界を死んだことによって知る事ができなくなるのが嫌だ。
自分は死んだのに、相手や友人知人みんなの時間は進んでいくことが許せない。
死を悼まれたりなんだり、時には噂のように、あれやこれや話題にされたら。
それに対して、何も言えない出来ない、たとえ霊的な存在があったとしても、介入できなければ意味がなく。自分が不在の自分の話を見聞きするだけで何にもできない状況なんて、
地獄すぎ。冗談じゃない勘弁してくれよ。

集約して。

私の知らないみんなの世界なんて許せないから、
私しかしらないみんなの世界になるまで死にたくない、だった。

なんという欲深さ。
この答に行き着いたとき、自分の余りの強欲さに、驚き笑ってしまったのでした。

相手の事を思っていたんじゃなく、相手の全てを「掌握」「コンプリート」
というとまた違うのだけど。死によって手に入る何か、という感じ?
上手く説明できないけれど、自分の中に、そんなような感覚があるみたい、、、

怖っ!!!

死んだら終わり、後の事なんてどうにもできないんだからどうでもいい。
とか思っていたのは、一体何だったんだろう。

どうやら、なんだか、全然どうでもよくなかったみたいです。

*****

最近、ふと死について考えることが多くなりました。

2018年の幕開けとともに、母の病気&手術&療養の開始。
それに伴って、高齢祖母のショートステイ利用開始。
だんだんと弱っていく、我が家の二大巨頭。
帰省の度に、見る触れる感じる、病気・病院・高齢者。

今すぐにどうこうなってしまうわけではないし、2人ともまだまだ普通に元気だけれど。

今生のその先へ、とでも表現いたしましょうか。
近親者が緩やかに生を閉じてゆくことが、そう遠くない未来である、
という事を実感せざるを得なくなってきた。


親の死には、だいぶ前から心の準備をしています。

母の死をよく想像します。

どんな気持ちになるんだろう。
やっぱり、悲しいのかしら。
死を冷静に受け止めるのかしら。
すぐさま、死亡に伴う諸々の手続きや葬儀の準備を、
とにかく淡々と必死でこなすのかしら。
それが私にできるかしら。

まったくもって縁起でもない話なんですが、心構えをしておきたいのです。
その時が来て、何もできなくなるというのが絶対に嫌なので、ぴしっと、
とにかく心はさて置いておいて、頭だけで動けるくらいには段取っておきたい。

臨終を想像したところで、あまり、悲しいという感じがしない。今のところ。
人は必ず死にますし、それを絶望的に思ったり泣いて悲しむというより、
来るべき時が来たのだな、というような感じです。

冷めている、わけではないと思う。きっと。
親の死は、赤ん坊の頃すでに一度経験しているからでしょうか。
何というか、死という別れが、刻まれている感じがします。

死という別れは、受け入れられる。

けれど、ある時。

「この人との母と子という関係は、終わってしまうのか」と思ったら、
なんだかとても切なくなって、初めて号泣してしまいました。

風呂場で急に。笑

死が悲しいのではなく、関係が終わってしまう事が悲しかった。

スピ的な観点とか、生まれ変わり的なこととか、そういう話ではないのですよ。
素敵だなと思うし、それによって救われる気持ちもあると思うけれど。
そういう事じゃなくて。

お母さんと呼び、あゆちゃんと名を呼ばれる。
言葉を交わし、触れ、行動し、共に過ごすことが出来なくなる。
そういう、現実・実感・物理的な話で。

自分が生きている間は、親子であるという概念は残るけど、
自分も死んでしまったら、もうその繋がりを知る人はいなくなり、
ということは、事実上、消滅するわけで。

なんだか、とてもあっけないですね。


だけれど。
彼女の死は、別れであり。
同時に、わたしにとって門出でもある。

THE★天涯孤独!

わたしはわたしの人生を面白可笑しく生きるのみ。
その前に、きちんと役割は果たさねば。

*****

現在、トランシットでは蠍に4天体。
ネイタル蠍ステリウム気味のわたくし。
蠍はもうお腹一杯なのですが。

ソーラーリターンを数日後に控え、P月4H入室目前のお盛んなサソリンは、
生きること死ぬこと、実家のこと。なんと捻りのないこと。笑
そんなことをぐるぐると考えながら、己の身の振り方を思案するのでした。笑



明日からの1週間も、がんばってこ。
おやすみなさい。

|ふつうのはなし|comments (1905)|trackbacks (0)|

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