---Level*36---
ツイッターのように気軽にブログを書いたっていいじゃないか、
という方向に心を向けて、試しに、ツイッターを止めてみたけれど。
特に変わらぬ日常。
Twitterを止めた副産物か、なんなのか。
気のせいかもしれないけれど、すごく軽い気がします。
頭が?心が??なんなんでしょうね。
よくわからない身軽感、あります。
本などの文字情報が、すーっと頭に入ってきます。
ツイッターを止めたからかどうかは不明だけれど、
占い時の自分のコンディションが変わった気がします。
通りが良い感じ。
SNS疲れ、ということだったのでしょうか。
特に何があったわけでもなんでもなく、なんとなく、
思ったことを垂れ流さないで留めておいてみたかっただけのですが。
とはいえ、ツイッターは大切な情報源。
たまーーーーに、さらーーーーーーーーーっと、覗きます。
そんなスタンス。
◆◇◆
今日は、そのTwitter繋がりで非常に有難い「場」に参加させていただきました。
◎読み聞かせ会@武蔵新城『灯台屋』◎
こちらに、読み手として参加。
読み手、、、ですよ。読み手。
久しぶりに、人前で声を出し、本を読みました。
ミズマチユミコせんせいのリツイートで回ってきたのが切欠。
ふわっと。本当にふわっと。「あ、手を挙げたい」と思って、迷わずすぐに。
面識どころかFF外。繋がってすらいなかったにも関わらず、
軽率にリプを送ってしまっていました。きっと無礼な行いですよね。
後々になって「やってしまったかも」と反省しました。
ちょうどその頃、声出したいけど、どうしたもんか。
と、漠然と思っていたのです。タイミングはぴったんこ。
渡りに船とはこのことか!神様さんきゅー!!みたいな感じでした。
見知らぬヤカラからの突然の申し出を受け入れてくださり、
当日の今日も、とても温かな空間で読む&様々なお話を聞くことができて、
感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、良い機会を与えていただきました。
楽しかった。有難かった。
そしてやっぱり、楽しかった。
会に参加するにあたり、タロットでも見ていました。
傾向と対策を。最終結果に出ていたのは、運命の輪。
自分にとっての何らかのきっかけ、、、
止まっていた時が動き出すような、、、???
歯車は、どんな風に回るのか。
こちらの結果も、こっそりのお楽しみ事項。
ほーんと、そのまんま。ねじれ無し。
タロットさまの、いうとおり◎笑
◆◇◆
お芝居やら舞台やら、表現することから離れて数年が経ち、
ある時を境に、舞台を観に行ったとて、
演者の世界がとても遠いものに思えるようになり、
ああ〜、、、やっと?遂に?私は離れることができたのだ、などと。
そんなことを思っていたのです。そして、それは今も変わっていなくて。
けども、たまに「声出したい」となるときもある。「わー!」みたいな。
それは、声で・芝居でどうこうしたいとかどうこうなりたいとか、
そういう欲求とは離れた気持ち。
あるとすれば、それは純粋に「表現したいなー」という気持ち。
こうなった今、ギラついていたあの頃の自分を思うと、、、
いろんな意味で痛々しかったなと苦笑い。ああ恥ずかしい。
朗読や読み聞かせって、読み手の経験や内面がそのまんま反映されるから、
人としての厚みが本当に大切。そこが恐ろしくもあるのだけれど。
読みから、じんわりと滲み出てくるその方の人生や生活に温もりを感じ、
物語を紡ぐ声は心地よく、朗読・読み聞かせの魅力を改めて実感しました。
これぞ、味ですよね。味。
その人だけの、味。
ずっと聞いていられる。大好き。
心からの感謝を申し上げたい。
本当に、ありがとうございました。
◆◇◆
今年の夏の終わりに、天海玉紀せんせいの
インナーチャイルドカードのセッションを受けました。
20分のイベント鑑定にて、ほんの軽い気持ちでキャッキャしながら。
そしたらば、自分でも忘れてしまっていた心の奥の奥の底。
そんなところを炙り出されて、、、歓喜?浄化?笑いの涙を流しました。大ウケ。
「だからさぁ、ミディアムとかそういうんじゃなくてさぁ、
あーたは、そのウェンディ(注※)みたいにさぁ、お話聞かせたりとかさぁ、
そういうのまたやったらいいじゃ〜ん。そういうことなんじゃないの〜。」
玉紀せんせいからの、有難いお言葉。
見事に、繋がっていました。
今日に。
***
先日、平成最後の太陽回帰を迎えました。
空模様は、、、魚や海王星、12H、プリズム、、、などなど
物質的現実的から離れるような、ここではない何処か的なテーマが強調されるような、
そう感じざるを得ない様相でございまして、え〜、、、
物質的欲求を原動力にガツガツ生きている私としては、
そういう世界観はなぁ、、、などと、頭を抱えたくなった次第。
そこで。
はい、こちら。
「金が好き、物欲どうこうとか言ってることで、
心を覆い隠そうとしてるようにしか見えないんだけど」
玉紀せんせいからの痛恨痛快フレーズ*その2。
ほんとうに、その通りかもしれません。
幾重にもガチガチに厳重に武装した本心。
一枚ずつ鎧を脱いでいくことで、見える道・進める一歩がある気がする。
脱いだそばから、またすぐ着込んでしまうんだけど。
だって、ガードなしじゃ生きていけないもの。心は豆腐ですから。
***
今日は、いろんなことを見て聞いて感じて、気がついて。
帰り道はとてもスッキリ、清々しい気持ち。
占いという地図からヒントを拾い上げながら、
なんとかかんとか使いながら、トライ&エラーしながら、
歩いていこう、マイライフ。
・・・なにを言ってんだろう。
ちょっとよくわかんないこと言いましたけど。
そろそろ観念するときなのかもしれません。
素直に向き合いましょうかね。自分と。
心に素直に、いい感じで、日々を過ごす。
明日からの一週間も、平和に穏やかに。
おやすみなさい。
月子
◆◇◆
ウェンディ(注※)とは、なんぞや。
昔、世界名作劇場のアニメ枠で放送されていた、ピーターパンの冒険。
わたしはこれが大大大大大大大大大大大大、大好きで。
あまりに好きすぎて、毎夜ピーターパンを待ち焦がれ、
真剣に飛ぶ練習をしながらも、我が家は平屋だったもんだから、
どこから飛び立とう?などと考えながら、過ごしていた頃がありました。
しかし、ピーターパンは現れませんでした。残念。
特に、胸震え沸き立つ感動の最終回は、何度も何度も何度も見ました。
セリフから効果音からBGMから、当時は全てを暗唱していました。見すぎて。
流石に今は所々が虫食いの記憶になってしまったけれど。
このアニメの最終回は、とても印象的でした。
雪がしんしんと降り積もる夜のロンドンの街並みを背景に、
ウェンディの朗読が流れて終わるのです。
ここだけは、今でも暗唱できます。
言いながら泣いてしまうんですけど。好きすぎて。笑
という方向に心を向けて、試しに、ツイッターを止めてみたけれど。
特に変わらぬ日常。
Twitterを止めた副産物か、なんなのか。
気のせいかもしれないけれど、すごく軽い気がします。
頭が?心が??なんなんでしょうね。
よくわからない身軽感、あります。
本などの文字情報が、すーっと頭に入ってきます。
ツイッターを止めたからかどうかは不明だけれど、
占い時の自分のコンディションが変わった気がします。
通りが良い感じ。
SNS疲れ、ということだったのでしょうか。
特に何があったわけでもなんでもなく、なんとなく、
思ったことを垂れ流さないで留めておいてみたかっただけのですが。
とはいえ、ツイッターは大切な情報源。
たまーーーーに、さらーーーーーーーーーっと、覗きます。
そんなスタンス。
◆◇◆
今日は、そのTwitter繋がりで非常に有難い「場」に参加させていただきました。
◎読み聞かせ会@武蔵新城『灯台屋』◎
こちらに、読み手として参加。
読み手、、、ですよ。読み手。
久しぶりに、人前で声を出し、本を読みました。
ミズマチユミコせんせいのリツイートで回ってきたのが切欠。
ふわっと。本当にふわっと。「あ、手を挙げたい」と思って、迷わずすぐに。
面識どころかFF外。繋がってすらいなかったにも関わらず、
軽率にリプを送ってしまっていました。きっと無礼な行いですよね。
後々になって「やってしまったかも」と反省しました。
ちょうどその頃、声出したいけど、どうしたもんか。
と、漠然と思っていたのです。タイミングはぴったんこ。
渡りに船とはこのことか!神様さんきゅー!!みたいな感じでした。
見知らぬヤカラからの突然の申し出を受け入れてくださり、
当日の今日も、とても温かな空間で読む&様々なお話を聞くことができて、
感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、良い機会を与えていただきました。
楽しかった。有難かった。
そしてやっぱり、楽しかった。
会に参加するにあたり、タロットでも見ていました。
傾向と対策を。最終結果に出ていたのは、運命の輪。
自分にとっての何らかのきっかけ、、、
止まっていた時が動き出すような、、、???
歯車は、どんな風に回るのか。
こちらの結果も、こっそりのお楽しみ事項。
ほーんと、そのまんま。ねじれ無し。
タロットさまの、いうとおり◎笑
◆◇◆
お芝居やら舞台やら、表現することから離れて数年が経ち、
ある時を境に、舞台を観に行ったとて、
演者の世界がとても遠いものに思えるようになり、
ああ〜、、、やっと?遂に?私は離れることができたのだ、などと。
そんなことを思っていたのです。そして、それは今も変わっていなくて。
けども、たまに「声出したい」となるときもある。「わー!」みたいな。
それは、声で・芝居でどうこうしたいとかどうこうなりたいとか、
そういう欲求とは離れた気持ち。
あるとすれば、それは純粋に「表現したいなー」という気持ち。
こうなった今、ギラついていたあの頃の自分を思うと、、、
いろんな意味で痛々しかったなと苦笑い。ああ恥ずかしい。
朗読や読み聞かせって、読み手の経験や内面がそのまんま反映されるから、
人としての厚みが本当に大切。そこが恐ろしくもあるのだけれど。
読みから、じんわりと滲み出てくるその方の人生や生活に温もりを感じ、
物語を紡ぐ声は心地よく、朗読・読み聞かせの魅力を改めて実感しました。
これぞ、味ですよね。味。
その人だけの、味。
ずっと聞いていられる。大好き。
心からの感謝を申し上げたい。
本当に、ありがとうございました。
◆◇◆
今年の夏の終わりに、天海玉紀せんせいの
インナーチャイルドカードのセッションを受けました。
20分のイベント鑑定にて、ほんの軽い気持ちでキャッキャしながら。
そしたらば、自分でも忘れてしまっていた心の奥の奥の底。
そんなところを炙り出されて、、、歓喜?浄化?笑いの涙を流しました。大ウケ。
「だからさぁ、ミディアムとかそういうんじゃなくてさぁ、
あーたは、そのウェンディ(注※)みたいにさぁ、お話聞かせたりとかさぁ、
そういうのまたやったらいいじゃ〜ん。そういうことなんじゃないの〜。」
玉紀せんせいからの、有難いお言葉。
見事に、繋がっていました。
今日に。
***
先日、平成最後の太陽回帰を迎えました。
空模様は、、、魚や海王星、12H、プリズム、、、などなど
物質的現実的から離れるような、ここではない何処か的なテーマが強調されるような、
そう感じざるを得ない様相でございまして、え〜、、、
物質的欲求を原動力にガツガツ生きている私としては、
そういう世界観はなぁ、、、などと、頭を抱えたくなった次第。
そこで。
はい、こちら。
「金が好き、物欲どうこうとか言ってることで、
心を覆い隠そうとしてるようにしか見えないんだけど」
玉紀せんせいからの痛恨痛快フレーズ*その2。
ほんとうに、その通りかもしれません。
幾重にもガチガチに厳重に武装した本心。
一枚ずつ鎧を脱いでいくことで、見える道・進める一歩がある気がする。
脱いだそばから、またすぐ着込んでしまうんだけど。
だって、ガードなしじゃ生きていけないもの。心は豆腐ですから。
***
今日は、いろんなことを見て聞いて感じて、気がついて。
帰り道はとてもスッキリ、清々しい気持ち。
占いという地図からヒントを拾い上げながら、
なんとかかんとか使いながら、トライ&エラーしながら、
歩いていこう、マイライフ。
・・・なにを言ってんだろう。
ちょっとよくわかんないこと言いましたけど。
そろそろ観念するときなのかもしれません。
素直に向き合いましょうかね。自分と。
心に素直に、いい感じで、日々を過ごす。
明日からの一週間も、平和に穏やかに。
おやすみなさい。
月子
◆◇◆
ウェンディ(注※)とは、なんぞや。
昔、世界名作劇場のアニメ枠で放送されていた、ピーターパンの冒険。
わたしはこれが大大大大大大大大大大大大、大好きで。
あまりに好きすぎて、毎夜ピーターパンを待ち焦がれ、
真剣に飛ぶ練習をしながらも、我が家は平屋だったもんだから、
どこから飛び立とう?などと考えながら、過ごしていた頃がありました。
しかし、ピーターパンは現れませんでした。残念。
特に、胸震え沸き立つ感動の最終回は、何度も何度も何度も見ました。
セリフから効果音からBGMから、当時は全てを暗唱していました。見すぎて。
流石に今は所々が虫食いの記憶になってしまったけれど。
このアニメの最終回は、とても印象的でした。
雪がしんしんと降り積もる夜のロンドンの街並みを背景に、
ウェンディの朗読が流れて終わるのです。
ここだけは、今でも暗唱できます。
言いながら泣いてしまうんですけど。好きすぎて。笑